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考察

マイケルのレコーディング1

Billie Jean

Blame It On The Boogie

音楽
Billie Jean 考察

*一人称で書かれているところ、考察部分はサイト主の個人的見解、それ以外の所は<脚注>の文献を参照しました。
【1】圧倒的な音的個性
 「音の個性、性格」sonic personalityという言葉を聞くと、真っ先に思い浮かぶ歌の一つがBillie Jean。ズシッと響き、かつタイトなドラムのイントロ1音目で、体が「あっ!」とBillie Jeanを感じ取ってしまう。

 ドラム4小節の後、あの耳について離れないベースライン。次にスタッカート4音のシンセサイザーのリピートが導入される。そして満を持して入るマイケルの哀調と怒りを含んだヴォーカル、ヒカップ、hee heeのファルセット、、、全てがこの曲をBillie Jean以外の何物でもない、One and Onlyにしている。

【2】作詞作曲
 この曲は、マイケルが作詞・作曲した曲の中でも、特に自伝的な色彩の濃いものの一つである。Dirty Dianaなどと同様、グルーピーといわれるおっかけファンが、次第に意のままにならぬ相手を脅していく様を「Billie Jean」という想像上の名前にに託したもので、特定のBillie Jeanはいないと自伝で述べる(歌の発表の後に出てきた自称ビリー・ヒーンをのぞいては)<1ム>。ただ、この曲のできた当時、一緒に働いていた音響エンジニアらの話では、直接のきっかけのひとつは、エンシノの家に壁を乗り越えて押し掛け、プールサイドに水着で現れ、マイケルが「双子のうち一人の父親だ」と言い張ったストーカー女性だそうである<2,ム195,ブ25>。

 ある時など、彼は頭に浮かんでくるBillie Jeanのメロディーに夢中になるあまり、通りがかりのバイクの青年に「車が燃えてますよ」と言われるまで、乗っているロールスロイスから火が出ていることにも気付かなかった。助けを呼び、代わりの移動手段を探している時も、彼はこの曲に夢中になっており、頭の中でひっそりと、しかし着々と作曲を進めていたという<3,ム194,ブ25>。

 彼はこのメロディーを、自宅のスタジオにおいてビートボックスやハミングで録音、最初のデモテープとなる<4,ブ25>。マイケルはこの曲において、作詞・作曲・ヴォーカルだけでなく、リズムセクションとシンセサイザーのアレンジも行っている。

【3】録音
 クインシー・ジョーンズは、音響エンジニアのブルースにこう語った。「この歌は今まで聞いたことがないような、すごくユニークな音的個性を持たせたいんだ」<5、ス37>。この歌がマイケルの極めて個性的な自伝的作品であり、そしてお利口な子供スターからの脱皮を印象付ける曲となることを、彼も感じていたのかもしれない。

 そこでブルースは、声を重ねて録音する時、マイケルに1.5メートルの厚紙の筒をとおして歌わせたりもした。クインシーはリリコン(Lyricon)という楽器を、名手トム・スコットの演奏で導入、独特の音色で味付けを試みる。ベースのLouis Johnsonは、手持ちのあらゆるベースギターを試し、その中でマイケルはヤマハのベースを選ぶ。<6,ス37>。それぞれが、それぞれの限界に挑戦してできたのがこの曲なのである。

 ドラムはN'Dugu Chanclerが、LAのウエストレイク・スタジオに自前のドラムセットを持ちこんで演奏。ブルースはこのドラムを、特製の非塗装合板の台に据えると、それをマイクとともに特注カバーで覆った。このやり方で、彼は音を殺すことのあるノイズ・リダクション機材は使わずに、あのタイトでパワフルな「ズッチャッズッチャッ」を録音したのである<7>。

【4】ミックス
音響担当のブルースは語る<8,ブ32>。
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2日間僕がミキシングをやったんだが、2番目のミックスが最高だと思ったんだ。で、マイケルとクインシーとロッド(ティンパートン)をコントロールルームに呼んで、2番目をかけてみた。みんな気に入って、そこらじゅう、踊りまくったんだ!

と、マイケルがそっと部屋から出て、僕に合図してきた。「お願いなんだけど、ブルース、あれ、完璧だよ、でもほんのちょっとだけなんだけど、ベースの音量上げてくれないかな?」これがマイケルが僕にささやいた言葉だった。「オーケー、スメリー(マイケルの愛称)、お安いご用だよ」僕は答えた。

それで、僕はコントロールルームに戻ると、ベースをちょっとだけ上げたミックスを作った。すると今度はクインシーが僕をすみっこに引っ張っていって、言うんだ。「スネアドラムとキックドラムにもうちょっと味付けしたいな。ほんの一つまみだけね!」で、またコントロールルームにって、スネアとキックに味付けする。この調子で、あっという間に20番目まで行ってしまった。結局1週間、こんなやり取りが続いて、とうとう91個のミックスが出来てしまった!91番目をきかせると、みんなニッコリした。でもクインシーが「でもさ、ほら、最初の方のミックスもなんか聴いてみたくなったな」と言い出したんだ。僕は嬉しくてワクワクしたよ、だって、最初の方のミックスがスゴイって思ってたからね。で、2番目のミックスをもう一度聴いてみた。そしたらサイコーだったよ!みんな踊りだしちゃったんだ。それで、2番目のミックスがアルバムになったんだよ。

【5】評価
アメリカ、イギリス両国で、スリラーがアルバムチャート1位、ビリー・ジーンがシングルチャート1位、を同時獲得。84年のグラミーではこの曲だけでも、ベストR&BソングとベストR&Bパフォーマンス(男)の2部門を受賞、アメリカン・ミュージック・アウォードではポップ・ロック部門で受賞。無数のアーティストにカバー、サンプリングされている。シングル売り上げは世界で約1000万枚、ダウンロード数は米国内1,559,460、英国738,000、他のヨーロッパ198,900を記録している<http://www.mjjcharts.com/MichaelGlobalSingles.htm>。

キーボードを担当したGreg Phillinganesの言葉がおそらく最も端的にこの曲を表しているかもしれない。「ビリー・ジーンはあらゆる面でホットな曲だ。リズム的にも、音的にも、メロディ的にも、歌詞的にも、卓越している。あれを耳にすると、体が反応し、感情が反応し、精神が反応するんだ」

【6】トリビア
①マイケルはイントロを削らせなかった<9,ブ14>-------------

インタビューによると、クインシー・ジョーンズは、ビリージーンの29秒のイントロが長すぎると思っていた。敏腕プロデューサーとして当然の視点から「マイケル、あれは長すぎるよ。もっと早くメロディーに入らなきゃ」と提案。しかしマイケルは「でもアレがポイントなんだよ!アレがあるからこそ踊りたくなるんだよ!」とイントロカットを拒む。

クインシーは、「マイケル・ジャクソンが、アレこそ僕が踊りたくなるモトなんだよ、と言ったら、みんな黙るしかなかったさ!」と回想する。

こうして私達が今も、一瞬も目が離せないあの素晴らしいイントロが、温存されたのである。ビートが背骨に響くと同時に、マイケルがマイケルワールドに入っていくあの29秒は、観衆がマイケルワールドに融合するための魔法の29秒とも言えるだろう。

②マイケルはどうしても題名Billie Jeanにこだわった<10,ブ14>----------------

クインシー・ジョーンズは、この歌のタイトルを「Not My Lover」にしたいと思っていた。Billie Jean Kingという実在のテニスプレイヤーと似すぎていたためだ。しかしマイケルはBillie Jeanというもとのタイトルのアイディアを譲らなかった。25年経った07年、クインシーはインタビューでこう話している。「今思い返すと、マイケルがビリー・ジーンっていう題名にこだわってくれて、よかったよ!」

確かにこの歌は、音的個性と並んで、タイトルも、一度聞いたら他とは混同しようがない強烈さを持っている。マイケルの直感と、よいと信じたら何とか実現しようとするアーティスト魂に乾杯。

③PV(ショートフィルム)はアフリカ系アメリカ人アーティストのフィルムとしてMTVで初めてオンエアされた。詳しくは別の機会に♪

④83年モータウン25周年ガラのBillie Jeanのパフォーマンスでマイケルはムーンウォークを初披露。詳しくは別の機会に♪

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