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THIS IS IT関連

◆THIS IS ITの意味

◆マイケルの余韻考察

◆オルテガ監督らインタビュー
その①思い出の秘話
その②MJの信念
その③やりたかったツアー
その④MJのダンス
その⑤TII作成について

◆ビアデン音楽監督インタビュー

◆オリアンティギタリスト・インタビュー

◆ダンサー一覧

◆ダンサーインタビュー

Timor Steffens
(ティモール・ステフェン)


Christopher(Kriyss) Grant
(クリス・グラント)


Daniel Celebre
(ダニエル・チェリブレー)


Charles Klapow
(チャールズ”チャッキー”クレイポー)


Misha Gabriel (Hamilton)
(ミシャ・ガブリエル・
ハミルトン)

Shannon Holtzapffel
(シャノン・ホルツァフェル)

Nickolas Bass
(ニコラス(ニック)・バス)

Devin Jamieson

Ricardo "Dres" Reid

Tyne Stecklein

Mekia Cox

Tony Testa(振付助手)




THIS IS IT
マイケル・ビアデン音楽監督インタビュー
*「This is itの意味」については、こちらで特集しています

 映画THIS IS ITで、キーボードを弾きながらマイケルと話し合っていた、音楽監督マイケル・ビアデンも、緊密に共同作業をしながら、マイケル最後の日々を共にしたクリエイティヴ・パートナーの一人でした。「マイケルを聖人にまつりあげるつもりはないさ」と忌憚なく語るビアデンの話の中に、非凡で完璧主義な芸術家でありつつ、優しく繊細なナマのマイケルがうかがえます。



(マイケル最後の日について)
 僕はその日午後5:30ぐらいから夜中の12:30ぐらいまで、MJと一緒でした。ショーのいろんな側面を見返して、改善したい点を手直ししていたんです。MJはあらゆる要素に関わっていたんだよね、照明、振り付け、衣装、舞台演出、音楽まで全部。
 
 僕と監督のケニー・オルテガと一緒に座って、彼は、チキンとかブロッコリー、グリーンビーンズを食べたり、プロテイン・スムージーを飲んだりしてたんです。MJはあの日のリハーサルの間じゅう、すごく嬉しそうでした。
 しばらくやっていなかった曲も練習して、マイケルはそれを踊って歌ったんだけど、すごいエネルギー、すごいパッションだったんです。あの動きを見たら、年齢なんて絶対分からなかっただろうね。

 あの夜の彼には、前の何週間かには見られなかったような輝きがあったんです。まるで何か壁を乗り越えたみたいで、このツアーを成功させるっていうだけじゃなく、みんなの予想を超えるパフォーマンス、そしてもしかしたら、自分自身が思っていたよりもすごいパフォーマンスができる、っていうことを彼自身実感したような感じでした。

(音楽へのアプローチについて)
 マイケルが僕によく言っていたのは、「ハミングできるようにしなきゃ、ビアデン!歌を複雑にしすぎちゃったらファンが歌えないからね。8歳の子供から80のお年寄りまで、みんなが僕のメロディーを口笛で吹いたり、鼻歌で歌える、そういうふうにしたいんだよ。それさえできれば、何かつかめたってことだからね」

(仕事ぶりについて)
 リハーサルで何かうまくいかないことがあると、マイケルはこんなふうに言うんです、
 「今みたいなのはこれっきり起きないようにね」とか
 「これは忘れちゃだめだよ。すごく大切なところだから!」とか、
あと僕の一番のお気にいりの表現なんだけど
 「待って!この瞬間を急がないで!ジュージューいわせるんだ(高ぶった感情を感じさせる余韻を持たせて)!ここは余韻がないといけないところなんだよ!」 

 不思議なことに、マイケルがこれを言うと、二度と同じ失敗は起きないんですよ。叫んだり、大声出したり、癇癪起こしたりっていうことは全然ナシなのにね。マイケルは大騒ぎしないでもうまく思い通りに人を動かすコツが分かってたんです。

 たとえもしも、指示で誰かが気まずい思いをするようなことがあっても、マイケルはいつも必ず何らかの形で気遣いを伝えて、気分を治してくれるような人間でした。これは、言い切れるよ、MJは一緒に仕事をしてきたアーティストの中で、一番思いやりがある男だったね。

(ダンス)
 MJにとってダンスは呼吸みたいなもの。ほんとに何の苦もないことなんです。振付と助監督だったトラヴィス・ペインはいつも言ってたんです、「マイケルは、踊る時、ダンスそのものになるんだ。マイケルとダンスは不可分一体なんだ」ってね。

(忍耐について)
 マイケルだって、そりゃ365日、仙人の境地、ってわけじゃなかったよ。だって、僕らと同じように人間だったんだからね。僕としては、彼は忍耐強い人間だったと思いますよ。ただ、彼は望んだものを望んだタイミングで欲しがる人間でもありましたね。彼は完璧にしなければ気が済まない性格だから、一緒に働く人にも、自分同様か少なくともそれに近い、高い意識を持つことを期待していたんです。「まだまだ準備中」的な働き方を好むタイプじゃなくて、結果をできるだけ早く求める人間でした。

(マイケルの出会った困難について)
 時々、僕らの間で話題に上ったのは、あのペプシのCM撮影でマイケルが負った火傷のこと。どんなに辛い時期だっただろうってね。
 マイケルがリハで、あんまり仕事に乗っていない時も、見かけたことはあります。彼のイメージをカンペキにしてどこかの聖人に仕立て上げるようなことは僕は決してしないよ。MJだって人間なんだから
、人間らしい弱さも持っていて当たり前。ただ彼はたまたま、その人間の上に、史上最高のエンターテイナー、という運命を背負ってたんです。

(神と祈りについて)
 一緒に食事をした時、マイケルは静かに祈りをささげてました。声を出して祈る時には、いつも神に対して祈っていました。他の名前を使わなかった、っていう意味ではないんだけど。

 神やそのお恵みや謙虚さ、とかがしょっちゅう話題になりました。ある日、 MJと僕で新しい音楽を作っていたんですけど、ひと休みしてる時、僕らの共通の名前「マイケル」の話になったんです。MJは、「ねえ、ビアデン。僕らの名前のもとの意味、知ってる?」って言ったんです。僕は知らなかったんですよね。そしたら、彼は教えてくれたんです、マイケルっていう名前は、もともと、神に近い、という言葉なんだって。

 それから彼はつづけて言ったんです。「でもそれで傲慢になったりしちゃいけないよね。謙虚な気持ちでいることが大切だ。じゃないと神は才能を奪っていってしまう。君も謙虚な気持ちを持ち続けるって、約束するね?」って。

(ツアーについて)
 マイケルはロンドン講演を本当に楽しみにしてましたよ。チケットが爆発的に売れたっていうことを聞いて、興奮していたんです。世界は彼を以前みたいに歓迎してくれるだろうか、と確信がない時もあったみたいですけど、あのチケットセールスで、彼は生まれ変わった。彼は、チケットセールスをシャットダウンしなきゃならないぐらいだった、と教えてくれました。

(シカゴについて)
 出身を聞かれて、シカゴのサウス・サイドだと答えると、マイケルは目を輝かせて嬉々として「僕らのいたところの近くだね!」と言ったんです。そして、彼はジャクソン5が売り出し中に演奏してまわった名劇場やクラブを次々と挙げ出しました。例えばRegalとか、High Chaparralナイトクラブとか、Mill Run Theatreとかです。僕は、「初めてジャクソン5のパフォーマンスを見たのは、シカゴ劇場で、一緒にUndisputedTruthも出演していた時だよ。Smiling Faces Sometimesって曲をやってたでしょう!」って言ったんです。そしたら、マイケルはそれを覚えてたんですよね。僕の一生の思い出です
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ズバリ知りたい!Q&A
マイケルの人生の
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 どんな音楽を
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マイケルにとって
踊りとは? 
なぜ子供を大勢
救ったの?
 マイケルの
何が特別なの?
 どんな本を
読んでいたの?
誰を尊敬していたの? どんな育児を
実践していたの?
どんな仕事ぶり
だったの?
マイケルが残した
影響は? 
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