ホーム  内面 音楽   フィルム  チャリティ  詩  本人の言葉  知人の言葉  THIS IS IT
THIS IS IT関連

◆BLU RAY/DVD予告編和訳

◆THIS IS ITの意味

◆マイケルの余韻考察

◆オルテガ監督らインタビュー
その①思い出の秘話
その②MJの信念
その③やりたかったツアー
その④MJのダンス
その⑤TII作成について

◆ビアデン音楽監督インタビュー

◆オリアンティギタリスト・インタビュー

◆ダンサー一覧

◆ダンサーインタビュー

Timor Steffens
(ティモール・ステフェン)


Christopher(Kriyss) Grant
(クリス・グラント)


Daniel Celebre
(ダニエル・チェリブレー)


Charles Klapow
(チャールズ”チャッキー”クレイポー)


Misha Gabriel (Hamilton)
(ミシャ・ガブリエル・
ハミルトン)

Shannon Holtzapffel
(シャノン・ホルツァフェル)

Nickolas Bass
(ニコラス(ニック)・バス)

Devin Jamieson

Ricardo "Dres" Reid

Tyne Stecklein

Mekia Cox

Tony Testa(振付助手)



 

THIS IS IT
ダンサーDaniel Celebreインタビュー
 This Is Itの11人のプリンシパル・ダンサーの1人、Daniel Celebre(ダニエル・チェリブレイのように発音する)のインタビュー和訳です。ダニエルはマイケルの騎士を自認し、彼を愛情込めてMikey(マイキー)と呼んでいます。マイケルがいかに創造的過程を楽しんでいたか、情熱を傾けていたか、愛されていたか、そして若者たちに前向きなメッセージを与えていたかが分かる内容です。逐語訳ではありません。ダニエルの略歴や映像はこちらもどうぞ。


Q:最後の日の様子は?
 「マイケルはすごく満足してて、僕らと一緒に笑いあったりしてたんだ。僕らはリハの間じゅう、一日何時間も踊っていたんだけど、マイケルはいつだって夢中になって踊りだしちゃうんだ。マイケルのエネルギーは、すごいもんだったよ!」

 「24日、僕らは全部込みの通しのリハをやって、午前1:30ぐらいに終わったんだ。素晴らしい感覚だったよ!マイケルは完璧だった!彼を長年見てきている人達さえ、今夜のマイケルのダンスは人生最高だ、と言ってたんだ。」

 「スリラーも初めてコスチュームつきでやったんだよ。そうしたら衣装係の皆が見て泣き出してた。どんなに素晴らしいか分からないでしょ、って言ってね」

 マイケルが本調子でないように見えたか、と問われるとダニエルはきっぱりと首を振る。「マイケルはいつだってすごい動きだったけど、あの日は、とにかく最高だったんだよ。彼、ホントに若く見えたんだよ!完璧な調子だったんだ!」

(訳注:オリアンティの話(youtube画像より和訳)によると、最後の日はEarth Song、スリラーの衣装リハ、つまり黒上下に赤の入った服、Ed Hardyのダボダボブルドッグパンツの日です)

 毎日、マイケルとダンサーはお互いに「おやすみ」を言いあっていたものだが、もちろんその日も例外ではなかった。「僕ら、いつもハグしてたんだ。僕が"ヘイ、マイキー、I love you!」と言ったら、マイケルも「I love you,too, bro(好きだよ 兄弟)と言ってきたんだよ。」それが、ダニエルがマイケルに会った最後となった。

 次の日を思い起こすのは辛い。なぜなら、それはダニエルの長年の夢が終わりを告げた瞬間だったからだ。ダニエルはオンタリオのイタリア系家庭に生まれ、4歳からジャズとタップを習った。彼はすぐヒップホップやブレイクダンス、そして何よりエレクトリック・ブーガルー(ダンススタイルの一種)にはまった。「僕はマイケル・ジャクソンそっくりに踊ろうとしてたんだよ」

 ダニエルはクラブやプロモ、テレビや映画、ヒラリー・ダフの相手役のダンスシーンの代役をわずか18歳で務めるなどしていたが、2007年にダンスを中断する。「気持ちの問題で、ダンスをやめたんだ。僕はできうる限り最高のダンサーになりたかったのに、皆が俺にやらせようとするのは、曲芸めいたことばかりだった。「こいつは頭でスピンできるかな?バク宙はできるかな?」っていう具合にね。もちろんそういう技はできるけど、でも僕はそれだけじゃない。だから僕はそういう仕事から手をひいたのさ」

 父親はイタリアン・デリをやっていたので、ダンスをやめたダニエルはそこを手伝うことになった。4月10日(オーディションの前日)、彼はデリでモルタデラをスライスしていた。そこへトロントのエージェントから電話がかかってきた。「お前、ここ2年、全部俺の仕事をけってきたよな。でもお前いつも、ダンス界に戻るとしたら、マイケル・ジャクソンのためだけだ、って言ってただろ。明日、マイケルのオーディションがある。行けよ」という内容だった。初め、ダニエルはためらったが、「明日、飛行機に乗るんだ、急げよ」と後押ししたのは父親だった。

 ダニエルは、緊張に苛まれるというよりは、むしろ興奮にウズウズした。「皆すごくカリカリしてた。僕はただ踊り続けてたよ。皆に言ったもんだ、"なんてったって、マイケルだぜ!楽しまなくちゃだろ!"」

 ロスでのオーディションでは500人が10人に絞られた。いよいよ最後の切り捨てが終わると、彼はマイケルに対面した。「彼と握手したんだ。すごく大きな手だったよ!(すごい感動の瞬間だったよ)彼は、サングラスで、あの髪で、黒いスーツだった。そこで対面して、思ったんだ。"この人はLoveそのものだ"ってね。」

 ダニエルはリハーサルと熱心な練習を経て皆の動きが仕上がっていく過程を楽しんでいた。そこへ運命の25日がやってくる。「僕らは皆、更衣室にいて、いつでもリハーサルを始められるようになっていた。僕はパソコンで、マイキーが映画WIZの中のEase on Down the Roadをやっているのを見てたんだ。テレビはそれまでそこではつけたことがなかったけど、ファラ・フォーセットが亡くなったっていうので誰かがテレビをつけた。そしたら、マイキーのことがニュースで流れだしたんだ。皆ホールを走って叫んでた。くずおれてしまってる人もいた。皆泣いていたよ、、、。みんな泣いてた。」

 リハーサル映像は、10月28日に公開となる(訳注:記事はこれ以前のもの)。ダニエルはマイケルを送った日のことを思い出すのは嫌だという。彼にはむしろ、マイケルとのリハーサル初日を思い起こす方がいいのだ。
 「マイケルは、僕らを素晴らしい冒険に連れていく、と言ったんだよそして、ホントに、素晴らしい冒険を味わわせてくれたんだ、、。」
------------------------------------------------------------------------------------------
同じダニエルのもう一つのインタビューです(10月26日)

 マイケル・ジャクソンがキング・オブ・ポップなら、ダニエルはナイト(騎士)を自認する。オンタリオ出身の24歳、彼は、かのThis Is Itツアーのプリンシパル・ダンサーの一人として選ばれたが、このツアーは6月25日、つまり開始わずか18日前に、マイケルの死によってキャンセルとなる。

 以来、ダニエルはマイケルのメモリアルサービスに参加、関係者による葬儀でも案内人を務め、ツアーと同名の映画に登場する。この水曜日から2週間限定で数ヶ月間のリハーサル映像が公開される。

 ダニエルはまだ自分でもこのツアーに関われたことを不思議に感じている。ロサンゼルスでのオーディションに駆けつける前日、彼は父がやっているデリで働いていた。個人的理由で、20歳から、期間を決めないままパフォーマンスから遠ざかっていたのだ。彼はライブやショーで自分が適当なパフォーマンスばかり要求されることに不満だったのだという。(彼は以前にテレビCMや映画に登場している。)「僕にとってはダンスは人生そのもの。だから、そんな役ばかりこなすのは、人生を妥協しているような感じがしたんだ」。彼は友人たちに言っていた「僕がバックダンサーになるとしたら、マイケル・ジャクソンのためだけだね」

 ダニエルとマイケルは、好みのダンススタイルが同じだった。エレクトリック・ブーガルーというスタイルだ。ダニエルは17の時エレクトリック・ブーガルーにはまって、ルーツをたどりその道の達人の技を盗んだ。マイケルの方は、ちょうどエレクトリック・ブーガルーの誕生期に育った。「マイケルはあの時代の子だったからね!」とダニエルは、今年51になろうという元子供スターを指して言う。「彼はあのダンススタイルができつつある頃に育ったから、自然にそれを吸収できたんだよ」

 キング・マイケルと騎士ダニエルには何か相通ずるところがあったに違いない。オーディション初日、振付に従って踊るテストの際、ダニエルは、練習量が不足しているにもかかわらず、このオーディションに通る気がしていた。2回目のテストの時には、ダニエルはマイケルが、彼のフリースタイル・ソロ・ダンスを見て拍手しているのに気付く。それから、ケニー・オルテガ監督がダニエルに、マイケルが彼の採用を決めたと告げに来る。その際オルテガは、マイケルは君にあだ名までつけたんだよ、と耳打ちする。「マイケルは君のことを"監獄のジーン・ケリー"って言ってたよ。君ときたら、ジーン・ケリーのワル版みたいだからってね」

 彼の流れるような動きを見れば、半ブロック先からでもダンサーズボディを持っていることは明らかだ。ダニエルはその後、マイケルの人柄などについて、それに匂いについても、段々と知っていくことになる。

 マイケルはいつも、強いコロンをつけていた、と彼は言う。「彼が建物に入ってくると、香りでわかるくらいだったよ」ダニエルは、その香りをかぐ度に、マイケルのエネルギーと情熱を思い起こしたという。「僕はあれをラヴ・ポーション(愛の媚薬)と呼んでたんだ。あの香りをかぐと、僕はいつもこういう気持ちになったんだ、"マイケルの生き方を思い起こせ"ってね。彼の目標は、愛を人に与え、広めることだった。僕らみんなも、彼がリハ会場に足を踏み入れるときには、そこらじゅうに愛が溢れてるようにしたいと思っていたんだよ。」

 全ては6月24日を境に変わってしまった。その日はマイケル最後の日だった。

 「ホントにおかしな感じだよ。だって、最後の2日間は、今までの中でも一番信じられないぐらい素晴らしかったんだから!通しリハーサルをやったんだ。」彼らはスリラーの衣装も全部つけて演じ、マイケルが監督する中でヒール・ザ・ワールドのフル・キャスト通しリハーサルもしたのだ。「マイケルは僕らのすぐ前にいて、僕らを見て、ほほ笑んだり、笑ったりして、ホントに満足そうだった。、、、喜びと幸せに溢れていたんだよ!!」

 ダニエルは今、プロダクション会社を設立し、既に若手のためのダンスコンペティションを開催したりしている。また、監督業をやりたいとも打ち明ける。だが、彼の将来の夢は、そんな日常的な肩書きのはるか上に思い描かれている。

 「僕はマイケルのナイト(騎士)だと思ってる。キングのために働く使命があると思っているんだ。マイケルの目指すところはとどのつまり何だったか?愛を広げることなんだ。マイケルはそれをどうやって成し遂げたか?ダンスと音楽を通じてだ。僕は何ができる?僕はダンサーだ。だから、ダンスを通じて愛を広げる、それが僕の道さ。マイケルが伝えてくれたラヴを、ダンスをとおして広めていけるなら、何だってするよ。自分の力でできる限り何でも、するつもりさ」


web拍手
 1つ1つ見るのが面倒なあなたは、コチラ↓
ズバリ知りたい!Q&A
マイケルの人生の
目標は?
 どんな音楽を
目指していたの?
マイケルにとって
踊りとは? 
なぜ子供を大勢
救ったの?
 マイケルの
何が特別なの?
 どんな本を
読んでいたの?
誰を尊敬していたの? どんな育児を
実践していたの?
どんな仕事ぶり
だったの?
マイケルが残した
影響は? 
inserted by FC2 system